きみのいま(仮)

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違和感という名のはじまり

新しいことが始まる。
そのキッカケはいつも同じ感覚。


「違和感」という名前のスタートライン。


あれ?なんか思っていたのと違う。
ほんの些細なことかもしれないけど、放っておけば、ジワジワとじぶんの本当の想いを覆い隠してしまうもの。


だからこそ、違和感には敏感でいたい。


違和感を感じたとき、その先の未来に見えているのは、本当にこれから見たい景色なんだろうかと、じっくりとじぶんに問いかけたいね。


色や形や感触などが、まるで映像を見ているように具体的に感じられるだろうか。
会えて嬉しいと思える未来だろうか。


一番身近な存在のじぶんが嬉しいと思えないのなら、道を変えたり踏みとどまった方が良いと思うよ。


その変えた道が、見た目荒れ果てたデコボコ道だとしてもね。
下手でも、転んでも、怒られても、笑われても、その先に嬉しい未来がはっきり見えるなら、違和感を信じて飛び込もう。


ひとつ気をつけたいのは、どんな時であっても、周囲を悲しませることはしないと同時に、じぶんも悲しませたらいけないよということ。


最近は「じぶんの想いに正直に」という言葉がひとり歩きして、じぶんのことを大切にという名のもとの我儘がまかり通っているケースも度々見かけたり、残念だなと感じることもあるな。


どんな時でも人を悲しませたり、そしてじぶんも悲しませていないかということには、十分に気を配っていきたいね。
そして微弱でも大きなキッカケになる違和感にもね。


さて、わたしも出会って嬉しい未来のじぶんに会いにいってきます。

色々あったけど幸せです

まず最初にこの「それでも朝は来る」シリーズは、決して私の不幸自慢をしたいとか、そういう意図で書いている訳ではないという事を、ご理解頂きたいです。


確かに世間から見たら、標準的な人生を歩いて来なかったのかもしれない。
私の生きて来たこれまでを知っている方から、人間失格と言われた事も何度かあるしね。


当時は沢山泣いたし、悔しい思いもしたし、愛情に飢えるどころか愛情って何?状態だったし、自己肯定感なんてものも皆無でした。
また、子供時代の経験の無さから、法律こそ犯していないものの、色々と失敗や他人へ迷惑をかけたりもしています。


それでも、手探りで生きて来た経験は、今の私の原動力になっているし、大きな財産にもなっています。


そして声を大にして伝えたいのは、今は誰ひとり恨んじゃいないということ。


虐待、虐め、DV。
どれも肯定する気は無いし、今でもやってはいけない事だと強く感じています。
しかしその思いと同時に、相手側の背景も考えた時に、そうならざるを得ない何かしらがあって、生きていくのが大変だったんだろうなということも感じます。


ぶつかり合う事があっても楽しい家族との思い出。楽しい学生時代の思い出や、七五三や成人式など人生イベントの思い出。
そんな人生を彩る数々の思い出とは無縁なところで生きて来た私。


子供を思わない親はいないと言うけど、本当に誰にも望まれずこの世界に来てしまった私。


家庭にも学校にもどこにも居場所がなく、独りぼっちでいつも寂しく、誰にも頼れず、生きている意味なんて全く分からなかった子供時代。
正直なところ、20歳になったら自分の手で人生の幕引きをするという目標が、唯一の生きる支えでしたしね。


そんな子供時代だったから、20歳で家出してからも友達の作り方もよく分からなかったし、生きていくうえでの知恵も持ち合わせていませんでした。


結婚したらしたで、幸せになるどころか、難病発病とDVという、最強で最難関の壁にぶつかって、こちら側とあちら側を2度程往復なんて経験もしました。
もうね、笑ってしまう程に色々とありました。


長年、高い壁や山を乗り越えてばかりの生活を送っていましたが、いま私は、現在の主人と猫との楽しい日々を過ごせております。
本当に、毎日とても幸せです。


だからこそ、私の土台を知って欲しいのです。


少しずつですが、私の歩いて来た道のりを話していこうと思います。

ふたたび歩きだす

今日からまた書くことをはじめてみようと思います。

文章を書くことは、こどもの頃から好きなことの1つでした。
そういえば私、いつの間に書くことをやめてしまったんだろう。
何かのキッカケかもしれないし、何かに遠慮したのかもしれないし、無意識のうちに好きなことを自分の奥底へ沈めてしまっていた。

じぶんが置き去りにしてきたものに気付けて嬉しい反面、何とも言えないさみしさの様な感覚もあります。

どんな事でもそうだけど、やろうと思った瞬間がスタート地点。
初めてやることも、一旦やめてしまったことも、いつからでも始められるし、今更とかもう遅いとかもない。
今日のひとことが、明日のひとことの土台。ひとことでもふたことでも書かないよりはマシです。書かないから書けないのです。ただそれだけ。

上手く書こうとしなくて良い。
私を感じられる文章が書けたら、何よりも嬉しいのです。
その気持ちを忘れずに書いていきたい。

どんな文を書いてもそれが今の等身大のじぶん。そのことに良いも悪いもありやしない。毎日じぶんと向き合って、じぶんの想いを文章という形にする。今、表現出来る範囲でとにかく書く。その積み重ねで、文にじぶんらしさが付いてくる。

面白そう、楽しそうの気持ち。
じゃあどうしたいと考えること。
そして一歩を踏み出す勇気。
じぶんの中にある、置き忘れ注意のものたち。

時間を忘れそうなほど楽しいことは、次の楽しいことを連れてくる。これだけは忘れちゃいけない大切なことだと、いつも思っています。