違和感という名のはじまり
新しいことが始まる。
そのキッカケはいつも同じ感覚。
「違和感」という名前のスタートライン。
あれ?なんか思っていたのと違う。
ほんの些細なことかもしれないけど、放っておけば、ジワジワとじぶんの本当の想いを覆い隠してしまうもの。
だからこそ、違和感には敏感でいたい。
違和感を感じたとき、その先の未来に見えているのは、本当にこれから見たい景色なんだろうかと、じっくりとじぶんに問いかけたいね。
色や形や感触などが、まるで映像を見ているように具体的に感じられるだろうか。
会えて嬉しいと思える未来だろうか。
一番身近な存在のじぶんが嬉しいと思えないのなら、道を変えたり踏みとどまった方が良いと思うよ。
その変えた道が、見た目荒れ果てたデコボコ道だとしてもね。
下手でも、転んでも、怒られても、笑われても、その先に嬉しい未来がはっきり見えるなら、違和感を信じて飛び込もう。
ひとつ気をつけたいのは、どんな時であっても、周囲を悲しませることはしないと同時に、じぶんも悲しませたらいけないよということ。
最近は「じぶんの想いに正直に」という言葉がひとり歩きして、じぶんのことを大切にという名のもとの我儘がまかり通っているケースも度々見かけたり、残念だなと感じることもあるな。
どんな時でも人を悲しませたり、そしてじぶんも悲しませていないかということには、十分に気を配っていきたいね。
そして微弱でも大きなキッカケになる違和感にもね。
さて、わたしも出会って嬉しい未来のじぶんに会いにいってきます。